旧軍港4市について

旧軍港4市(横須賀市、呉市、佐世保市、舞鶴市)は、明治以前までは独自の産業・文化を持ったまちとして歩んできました。明治時代に入り、海軍の機関である鎮守府が置かれたことにより、軍港都市として発展してきました。

  • 明治17年(1884年) 横須賀に鎮守府が開庁
  • 明治22年(1889年) 呉・佐世保に鎮守府が開庁
  • 明治34年(1901年) 舞鶴に鎮守府が開庁

鎮守府の開庁により、4市の人口は増加の一途をたどり、ドックや大型クレーン、赤レンガ倉庫、水道施設など、さまざまな施設が建設され、今は、近代化遺産としてその歴史を伝えています。

しかし、軍港都市として発展してきた4市は、終戦に伴う海軍の廃止によりその立市基盤を失い、人口も激減しました。

壊滅的な打撃を受けた4市は、復興と都市再生への道として、旧軍用財産を活用した平和産業港湾都市に転換することを決意しました。

そして、4市のみに適用される法律「旧軍港市転換法(軍転法)」が議員立法と4市それぞれの住民投票によって成立し、昭和25年に公布・施行されました。

軍転法では、旧軍用財産を無償または減額して譲渡するなどの特別な措置が定められています。

この結果、多くの旧軍用財産が、学校、公園、道路、港湾をはじめとする公共施設や市の地域経済を支える民間施設用地へと転換、活用されました。

軍港都市として発展した4市は、
戦後、平和産業港湾都市として生まれ変わりました。

しかし、戦後70年が経過した現在でも、旧軍用財産の転活用は完了していません。
この70年の節目に、われわれ旧軍港4市は連携して、新たな一歩を踏み出します。
それは、日本の近代化と4市発展の礎となった近代化遺産を活用し、現在のまちの魅力を最大限に引き出し、日本に、世界に4市の魅力を発信することです。

海と歴史がつなぐまち、旧軍港4市の挑戦


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